第2回-2 煖をとる人々 アイルランド編「大地の炎が燃える」
写真/飯田裕子(写真家)
命の火、ボグ
ボグ・ランド(泥炭地)は、いちめん大モグラが掘り返したようにボコボコして、チョコレートケーキのように黒々していた。足を踏み入れると、しっとりと水を含んでいて、マットのようにフカフカと柔らかくて弾力があった。駆けると体がバウンドする。子どものころ、陽に干したばかりの布団の上で跳びはねて、母親に叱られた思い出が脳裏に浮かんだ。なんだか愉快になって、踊るようにして駆けた。遠くにボグ掘りらしい人影が見える。アイルランドに来て、初めて出逢う”生”の光景に心も弾んだ。
私たちは、アイルランド島西部メイヨー県のバンゴーエリスまで足をのばしていた。コナート州のこのあたりは、アイルランドでもっとも痩せた土地であるといわれ、一七世紀にイギリス人クロムウェルの侵略で、土地を追われたアイルランド人が強制的に移住させられた地域でもある。
クロムウェルは、イギリス本土において「ピューリタン革命」を起こしてチャールズ一世を処刑し、猛烈な弾圧をもって革命を推し進めた人物で、アイルランド侵略においても強圧的な武力弾圧をした。
「ピューリタン革命」は、「清教徒革命」とも呼ばれる宗教革命であった。英国国教会プロテスタントは、異教徒であるアイルランドのカトリック教徒を容赦なく迫害し、殺戮した。教会や修道院は片っ端から破壊され、修道士たちも殺された。クロムウェルの支配以来、アイルランドにおける富と権力は、完全にカトリックからプロテスタントに移った。
ちなみに、イギリスのプロテスタントの歴史は、一六世紀チューダー王朝のヘンリー八世が王妃の離婚問題でローマ法王と決別し、英国国教会を作ったことから始まる。アイルランドへのプロテスタントの弾圧はこのころからすでに始まっている。ヘンリー八世の統治は、アイルランド的なものはいっさい認めず、完全なイングランド化を強いるもので、カトリック信者は土地を奪われ、徹底的に差別された。数百年に及ぶイギリス支配の歴史は、アイルランドの悲惨な迫害と貧窮の歴史でもある。
その辛酸の暮らしの中でも、寒冷で土地が痩せたコナート州は、牢獄のような土地だった。人々はかつての先住民たちのように、沿岸部の薄い表土を石垣で守って主食のジャガイモを植えた。
ジャガイモはほかの作物が育たないような痩せた土地でも育つ。夜や、夏の低温にも耐え、手間がかからず、短期間で収穫できる。小麦のように粉にしなくても食べられ、鍋と泥炭があれば調理ができる。何よりも腹を満たせる。人々は、ボグを燃やす暖炉に肩を寄せ合い、ジャガイモを分け合いながら暖をとった。
「貧者のパン」と揶揄されるギャガイモと、貧土に隠されたボグが、虐げられた人々の命を救った。ボグの火は彼らにとって、まさに命の火だった。朦々と立つ煙のかすかに饐えたような匂いは、自分たちの家の匂いであり、家族の体臭のように心を安らがせる。どんな強大な力も、善良な人々からすべてを奪い去ることはできない。
バンゴーエリスの郊外は、鉛色の雲が低く垂れ込めて暗く、冷たい雨が降っていた。その寒々しい、荒涼とした原野に人影を見つけたのは、まったくの偶然だった。ダブリンから車を走らせて三日目。ボグ掘りの現場に出逢えぬまま、半ば諦めかけて、今日の宿のバリーキャッスルまで向かう途中だった。
ボグ掘りは普通、比較的天候が安定する五月から夏場にかけておこなうということを、アイルランドに来てから知った。いまは夏から雨季に差し掛かっていた。ダブリンでは冷たい雨が降り、北西部の旅に出る前夜には霰まで降った。さらに、途中の町で落ち合った現地のガイドに、「いまはガスを使うようになって、いまどきボグを掘っている人なんかいないよ」と鼻で笑われて、いっそう気持ちが沈んだ。彼は典型的なイギリス系の上流階層の人間だった。どこか、アイルランドの古い伝統を蔑むようなところがある。
しかし、私たちは、諦めきれなかった。数千年前からアイルランドの人々を支えてきたボグが、そう簡単になくなるはずがない。アイルランド人の命と血のようにDNAに刷り込まれたボグを、あっさりと捨てることなどできるはずがない。そして、いまもボグを使っている人がいるかぎり、ボグを掘っている人がいるはずだという、確信に近いものがあった。