製粉所
伊那市の南、宮田村にある製粉所。
昔は、どこの村や町にも何件もあった。
籾(もみ)や玄米、小麦粉を製粉、精米してくれるところである。
今は、ほとんどの店が廃業してしまった。
米や、小麦粉はスーパーでもコンビニでも買える時代になった。
私は今でも、米は籾や玄米で買い、その都度精米して食べている。
コイン精米より、昔の機械でゆっくり摺るほうが米の味が良いと思っている。
この写真は、今から15年前の写真である。
この精米所に籾を持ち込み頼むと、おじいさんが黙ってもくもくと昔の古い機械で米を摺ってくれた。
無口なおじいさんだった。
製粉所の中は、クモの巣が張り、ほこりをかぶった古い機械がところ狭しと並んでいる。
今も、戦前からの機械も現役で使っているが、仕事が少なくなったとのこと。
おばあさんも元気な人で、私が行くといつもお茶を飲んでけと言い、昔話をしてくれた。
「戦前からの稼業で、戦争から帰ってきたおじいさんが婿養子になってくれた」と言い、
「無口な人だが良く働いてくれた。私は背丈は4尺6寸(138cm)しかないけれど、昔はおじいさんと一緒に米や粉を1日何十俵も摺って、運んだよ。
半俵(30kg)の袋も軽々と持ったもんだ。田んぼも畑も蕎麦も作ったよ。苦労したもんだ。」
と言っていた。
陽気で、気丈なおばあさんだった。
この大正生まれのおじいさん、おばあさんもとうに世を去ってしまった。
定年になった息子さんが跡を継ぎ、新聞配達をして店を維持してきたが、
去年重い病に倒れてしまった。
私と気が合い、いつも世間話をして、米を摺っている時間より話の時間のほうが長かった。
最後に会ったとき、急いでいたので帰ると言ったら、
「もっとゆっくり話をしていってくれ」と、強く言った。
今になっては、心残りである。
抜けた前歯に煙草を挟んで、吸っていた、ユーモラスな姿はもう見られない。
私は、時折この店の前を通るとき、車のスピードを緩め、ゆっくり通り過ぎる。