第2回-4 煖をとる人々 アイルランド編「大地の炎が燃える」
写真/飯田裕子(写真家)
心に灯る火
翌日、切り立った断崖の丘に立つケージー・フィールドのミュージアムに行った。ここは3500年前の地層で、いちめんにボグの大地が広がっている。フロアの中央に4000年前の地層から出土したパインの巨木が展示してある。ボグの地層からは5000~6000年前の居住跡や宗教遺跡も出土している。ヴァイキング時代に埋葬された遺体が腐らずに出てくる。「ボグ・ボディ」と呼ばれ、100体を数えるという。ボグは、アルカリ性に富んだ、水分を含んで湿潤な土で、酸化しないために、ものが腐敗しにくい。深く堆積した地層は炭化が進んでいて、いっそう腐らない。
また、ボグの大地は、広漠としているように見えて、地味豊かで、春から夏にかけてはカラフルな美しい花々が咲き誇る。ボグの湿原にはゲンゴロウやカエル、トンボ、シギ、キツネなどの野生の生き物が棲息している。ボグ・フィールドは、自然のビオトープだ。
数日前に訪ねたボグの火力発電所でも、ボグを掘って荒れた土地に、発電所で燃やした灰を戻してやると、きれいな緑の草原が復活するという話を聞いた。この発電所では、ボグを燃料に使って一日に40メガノット、毎秒50サイクルの電力を作り出し、スライゴーを中心に3000世帯に電気を供給している。
「ボグは、アイルランドの中央部から北西部のほぼ全域に深く貯蔵されている。おそらく数億トンになるだろう。無尽蔵に近い資源だ。産業のないアイルランドが、生き延びてこられたのはボグのおかげだ。でも、いまは、環境破壊の問題で、続けられなくなっている。この発電所もあと数年で廃止されることになっている」
と発電所の所長がつぶやいた。
アイルランドではいま、自然保護団体を中心にボグを掘ることに対して反対運動の声が高まっている。アイルランドの電力は、ボグの火力発電から、この島特有の強い風を利用した風力発電に移行しつつある。それはそれで、地球の未来を見据えた賢い選択にちがいない。
だが、現代の繁栄と豊かさの上に立ったヒステリックな観念論が先走りしすぎると、世の中がぎすぎすして、人の心が荒廃してくる。隙のない正論や、合理主義だけがいいとはかぎらない。人には心がある。魂や肉体に染み付いた抜きがたい歴史がある。アイルランドに限らず、すべての国の人間が克服していかなければならない課題だ。本当の意味でのエコロジーとは何かのついて、広範な議論を重ねていく必要がある。
私たちは、東海岸のダブリンから中部地方、北西部を旅し、果てしなく広がるボグの大地を目の当たりにしてきた。
ダブリンはジョージア様式の建築が残る美しい街だ。石造りの家には必ず暖炉の煙突があって、刻々と変化する空に煙突が林立している。だが、その煙突から、ボグを燃やす白濁した煙が立つことはない。
ジョージア様式の大きな建物は、いわゆる棟割り式にいくつかに仕切られていて、道路に面してそれぞれ色や意匠を凝らした玄関ドアが並んでいる。ドアが大きいのは、当時の上流階級の女性がはいていた、チューリップのように開いたスカートに合わせてあるからだ。使用人たちは表玄関を使うことはなく、玄関横の鉄の階段を下りて地下の勝手口から出入りした。
家の中には各部屋ごとに暖炉があり、建物の高い屋根の上には、煙突を何本かずつレンガで囲った集合煙突がずらりと並んでいる。また、一般の住宅では、居間に暖炉があり、スライド式のクレーン(自在鉤)がついていて、それに鍋を吊して料理をしていた。また、古い暖炉には、火の真上の蓋が開けられるようになっていて、各部屋にパイプで温かい空気を送って暖房をした。
さらに、地方の貧しい家では、入り口を入った土間の窓側に暖炉があり、暖房と調理を兼ね、暖炉の横に粗末なベッドが置かれている。暖炉の壁の裏にある小さな部屋が家族の寝室になっている。暖炉の横には馬糞を固めたようなボグが積み上げられていた。
ボグを燃やすと、煙突から濁った煙がもくもくと湧き出してくる。煙は湿気を含んで重く、屋根を這って降りてくる。火が燃えてくるとしだいに煙が薄くなって、リンが燃えるような青い火が一瞬現れ、そのあとには透明の陽炎が空を揺らす。かつて、ダブリンの空港に降り立った人々は、流れてくるボグの匂いで故郷に帰ってきた感慨を覚えたというが、いまは昔になってしまった。
北西部のボグの丘陵地には、風力発電の巨大なプロペラが建設されている。時代の変遷を見る思いがする。しかし、膨大な建設費に行き詰って、先行きの見通しが立たないらしい。計画自体が頓挫しかかっているのが現実のようだ。
その一方で、アイルランドはEUに加盟して、いま飛躍的な経済発展を続けている。ダブリンの街は、観光客で昼も夜も賑わっている。地方も家の新築ラッシュに沸いている。現在のアイルランドの第一の輸出産業は、外国資本による医薬品だという。EUという、3億人の巨大市場をターゲットにした拠点になっている。細々ながら、ボグも、燃料としてではなく、肥料として輸出されるようになった。
アイルランドのボグの火は消えていくのだろうか。だが、いまも地方の片隅で、ボグの火を暖炉で燃やし続けている人々がいる。その火で温かい食事を作り、母の胸に抱かれるように、心安らかに暖をとる人々がいる。その人々にとって、DNAに刷り込まれたボグの火の温もりと匂いは、永劫に消し去ることはできないような気がする。「だいち」という血、「ひと」という魂の内なる火は燃え続ける。それでも、新しい時代は、それを過去の歴史に埋め尽くして進んでいくのだろうか。
いまも、世界の隅々で、小さな原始の火に寄り添って暮らしている人々がいる。その火はロウソクの炎のように乏しくて頼りないが、人々にとって命を繋ぐかけがえのない火だ。人は火がなければ生きていけない。文明や産業を発展させるエネルギーという以前に、火は生物としての生存を支える根源的な意味を持っている。
人類はいま、際限のない繁栄の幻想に取り憑かれてエネルギーを消費し続け、原子力という、神の火を人間の手で造り出してしまった。物資的な繁栄や豊かさだけで、人は本当の幸せを手に入れられるのだろうか。人間は、残念ながら、生まれた境遇や、社会的環境、あるいは個人の能力などで、けっして平等ではない。しかし、生きる価値において差はない。ささやかな喜びや幸せを神に感謝する権利だけは等しく与えられている。小さな火の中にも、そうした人類の大いなる命題が潜んでいる。
アイルランドのボグの火が、私たちの心の奥に灯った。世界の「暖をとる人々」を巡る果てしのない旅は、ここから始まる。
完